Virtual Eye 第50回 眠る(2000年4月)


【眠る】心身の活動が休止し、目を閉じて無意識の状態に入る/一時、活動をやめた場外になる

 風の季節である。風そのものに季節は無いのだろうが、「春の見え始めたころ」という時期が流行時とでもいおうか、風邪にやられる方が目立つ。さて、風邪に限らず病というものにやられた時はまず私たちは「寝る」。「寝」という文字は「清浄な神殿」の意。貴人の病人がここに寝たことから寝屋となり、ひいては「寝台に寝る」とひろがる。「寝る」という行為よりはその行為を行う場所(寝室)に意識の重点があるといえよう。これに対して「寝る」という行為に重点を置いた語が「眠る」である。編の「目」は文字通り「目」をあらわし、つくりの「民」は「冥(おおう)」という意味。瞼が目を覆う、という行為から、目を閉じて眠りに入るという意味を示すことになる。すなわち風邪を引いたら「寝なくては」と主に、ベッドに横になれば自然と「眠り」に落ちてしまうという具合である。

 「眠る」という行為は病気の時に限らず、日々必要な営みである。寝らないことが人体に与える悪影響については改めて語るまでもあるまい。かつて拷問にも「不眠を強制する」という方法があったことを見ても、人間に眠りが必要なことは自明である。もちろん、忙しい折りは「眠る時間を惜しんで」活動する。「眠りに費やす時間がもったいない」という塩梅であるが、そもそも「惜しんで」という言い方をすること自体に既に眠るということが重要であるという意識を見ることができる。重要でなければ「惜しむ」筈もない。
 ここに「ロボット」という存在がある。人手でなくロボットを用いる、というメリットにはもちろん人件費の削減やルーチンワーク上でのミスの軽減という効率化が挙げられる。それあらのメリットの一つに「機械は眠らない」ということも挙げられるだろう。眠らずに働き続ける、しかも正確に。同じ仕事が可能なら、人間が行うよりもロボットに任せようという気になるのも首肯ける。
 眠らないという特性はロボットの「機能」の面に注目した場合に挙げられる特性である。ロボットという存在に注目したとき「人工知能」を忘れることはできない。人が作り出した「知能」。この知能は「眠る」必要はないのだろうか。例えば外見はあたかも人間であるかのようなロボットが「人間であるかのように振る舞う」よう設計されれば、当然ながら「眠る」ろぼっとは登場するだろう。しかしながらそれは眠ったかのように振る舞うだけであり「眠り」を必要とするわけではない。「疲れた、もう寝る」という訳ではないのである。SFの世界にある「マザーコンピュータ」的発想の拠所はここにあるのではないだろうか。眠る必要もなく、頭脳なりからだなりを24時間使い続けられるとしたら、現在の一日を二日分、三日分くらいまでに使いうるのである。1人だけがそのような事が可能だとしたら羨望以前に畏れを委託のではないだろうか。ましてやコンピュータがそのよに四六時中休むことなく「人間のように」振る舞い続けたら。人間を支配するコンピュータという発想が生まれても不思議はない。もちろん人工知能というものは人間の一部分を肩代わりすべく研究されているものであり、人間存在そのものの肩代わりを作る試みではない。しかしながらテクノロジーが脳の機能そのものを作り出せるようになったら。極端に恐ろしい方向ばかりを想像するのは不健全な精神の働きではないだろうか?
 健全な眠りは健全な精神を剥ぐ雲。不健全な想像ばかりが膨らむのは健全な眠りを得ていないからかもしれない。健全な想像を得るためにも、眠りにつくことにしよう。

2000年4月 Virtual Eye


Virtual Eyeは、Macのユーザーズクラブ(当時)からISPとなっていったLink Clubの会員向けNews Letterに連載していたエッセイです。
当時のLinkClub NewsLetterはこちらの左メニュー、「News Letter Web版」の2008年以前の記事を見る、から。