Virtual Eye 第50回 眠る(2000年4月)


【眠る】心身の活動が休止し、目を閉じて無意識の状態に入る/一時、活動をやめた場外になる

 風の季節である。風そのものに季節は無いのだろうが、「春の見え始めたころ」という時期が流行時とでもいおうか、風邪にやられる方が目立つ。さて、風邪に限らず病というものにやられた時はまず私たちは「寝る」。「寝」という文字は「清浄な神殿」の意。貴人の病人がここに寝たことから寝屋となり、ひいては「寝台に寝る」とひろがる。「寝る」という行為よりはその行為を行う場所(寝室)に意識の重点があるといえよう。これに対して「寝る」という行為に重点を置いた語が「眠る」である。編の「目」は文字通り「目」をあらわし、つくりの「民」は「冥(おおう)」という意味。瞼が目を覆う、という行為から、目を閉じて眠りに入るという意味を示すことになる。すなわち風邪を引いたら「寝なくては」と主に、ベッドに横になれば自然と「眠り」に落ちてしまうという具合である。
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Virtual Eye 第31回 田沼意次(1988年7月)


 ワイロ。政治があれば必ず存在するものである。今日の収賄事件を小粒にみせてしまうようなワイロ政治の親玉が江戸時代にいた。18世紀は明和、安永の頃のことだから今から220年ほど前のこと。老中田沼意次である。などともったいぶって書いてみたが彼の名前を耳にしたことのない人もそうはいないだろう。江戸時代、もしかしたら日本史の中では、唯一、人名が時代の呼び名となっているほどの有名人なのである。
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Virtual Eye 第48回 書く(2000年1月)

【書く】 (筆などで)線を引く。また、絵や図をえがく。文字をしるす。著作する。

 作文。学校で苦痛に感じていたのではないだろうか。文を作るという行為、改まって考えるとなにやらかしこまってしまい小難しいもののように思えてくるが、総かしこまらないものであればだれだって普段何か「書く」という行為を行っているだろう。仕事上の企画書や報告書などという公的なものでなくても、携帯端末やコンピュータでのメールのやり取りや、ちょっとしたメモ的な手紙などというものなら日常的に書いているものである。それでもあらたまって「書かなくてはいけない」という状況に陥るとどうしても「書く」ことがとても難しいことのように思えてくる。
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Virtual Eye 第33回 藤村操(1998年9月)


「アイデンティティ」という言葉。明治時代の文明開化。西洋の「技術」「製品」が大量に日本にやって来た。同時に「言葉」というものも日本に大量にやって来て、「訳語」が作られた。ところがどうも日本語にならない、といった言葉が大量にある。文化が異なれば思想も異なる、ということを考えれば日本語で表せない単語があっても不思議ではない、ということだ。「自己同一性」などという摩訶不思議な訳語が一応は与えられている「アイデンティティ」なる言葉、認識が明治時代に入ってきたのかどうかは定かではないが、とにかくカタカナ言葉として定着している。
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