第31回 田沼意次(1988年7月)


 ワイロ。政治があれば必ず存在するものである。今日の収賄事件を小粒にみせてしまうようなワイロ政治の親玉が江戸時代にいた。18世紀は明和、安永の頃のことだから今から220年ほど前のこと。老中田沼意次である。などともったいぶって書いてみたが彼の名前を耳にしたことのない人もそうはいないだろう。江戸時代、もしかしたら日本史の中では、唯一、人名が時代の呼び名となっているほどの有名人なのである。
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第48回 書く(2000年1月)

【書く】 (筆などで)線を引く。また、絵や図をえがく。文字をしるす。著作する。

 作文。学校で苦痛に感じていたのではないだろうか。文を作るという行為、改まって考えるとなにやらかしこまってしまい小難しいもののように思えてくるが、総かしこまらないものであればだれだって普段何か「書く」という行為を行っているだろう。仕事上の企画書や報告書などという公的なものでなくても、携帯端末やコンピュータでのメールのやり取りや、ちょっとしたメモ的な手紙などというものなら日常的に書いているものである。それでもあらたまって「書かなくてはいけない」という状況に陥るとどうしても「書く」ことがとても難しいことのように思えてくる。
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第33回 藤村操(1998年9月)


「アイデンティティ」という言葉。明治時代の文明開化。西洋の「技術」「製品」が大量に日本にやって来た。同時に「言葉」というものも日本に大量にやって来て、「訳語」が作られた。ところがどうも日本語にならない、といった言葉が大量にある。文化が異なれば思想も異なる、ということを考えれば日本語で表せない単語があっても不思議ではない、ということだ。「自己同一性」などという摩訶不思議な訳語が一応は与えられている「アイデンティティ」なる言葉、認識が明治時代に入ってきたのかどうかは定かではないが、とにかくカタカナ言葉として定着している。
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