スパムからステップメールについて考える

タイトル: 卑怯です
内容: どうでもいいメールをしたつもりは無いんですけど…このままずっと無視ですか?

って明らかにスパムなアドレスからのメールが来たんですが、「このままずっと無視ですか?」と言われたので、無視せずに記事にしてみました。
約2時間ごとに一応ちゃんと誰かに連絡とっている態で送られてきていて、だんだん返信がないのを咎める内容に変化しているので、どこかでアドレス間違ってますよって返信されることを期待しているのかな?

丁度クライアントへのレポートに、メルマガは単発を送って終わりじゃなくて、開封者への2手目3手目考えないと、って内容書いた後に見たスパムだったので、「単発になっていない」メールという点で関心してしまった。このスパムも繰り返し送ることで注目させ、Replyを…と手法だけとり出せば「メール送る際にちゃんと考えようね」ってことはとにかくもクリアしている(というかスパムのほうが「ちゃんと考える」については相当上を行っているのかもしれないけれど)。

MAを導入するまでもなく、Mail配信ツールはステップメール送信機能は実装されていることが多くなっているので、開封者、メール内リンククリック者に対して次のアクションをどうする、というようなことを想定して、ある行動に対して次にどのような手を打つかということが「シナリオ」として準備できるようになってきている。一昔前はとにかく大量投下で、その中でのコンバージョン率をどうするかという単純な(難しいけど)話だったのが、配信後の行動パターンにあわせて策を細分化するように変わってきている。細やかなことができるようになるから、当然優良コンバージョンを得られるよ、という目論見で、たしかに「細やかな」ことがちゃんとできれば優良コンバージョンは増えるのだろう。

ただ「細やかな」というのはなかなか曲者なんじゃないか。メールなので、せいぜい「開封した|しない」「クリックした|しない」だけかもしれないが、コンテンツマーケティングサイトのメルマガで、複数記事の紹介であれば「クリックした|しない」は「○○をクリックした|しない」に分割される。メール内の記事数nに対して、「クリックした|しない」がnあるのだから、本当に「細やかに」しようと思えば、記事Aと記事Bをクリックした、というような組み合わせも考慮できるケースだってあるだろう。この場合に記事Aをクリックした場合のシナリオ、記事Bをクリックした場合のシナリオの両方を実行だと、両方が同じようなアクションでは、二重のアクションとなってしまって逆に鬱陶しいと思われかねない。もちろん実際の想定で、数学的にすべてのパターンを用意しないといけないということはないだろうけれど、記事数nに対して、クリックした数r(0<=r<=n)の組み合わせが何通りあるか、ということを想定するとなるとなかなかに面倒。厳密にやろうとするのは間違いなく「過剰なこと」だと思うのだけど、これが過剰であるという根拠はどこにもない。逆に過剰になるのであれば、メールに記載した記事に戻って、記事Aと記事Bとの2つが本当に両方必要なんだろうか、というところに立ち戻る必要があるのかもしれない。 細やかさはどこまで、という問題はあるものの、これは受信した側がどのように反応するのか、という観点で考えましょうということに過ぎない。これはコンテンツマーケティングの話を読むと当たり前のように書かれていることだし「お客側の課題を発見して解決手法を提供すること」はマーケティングのなすべきことなので、間違いではないのだけど「お客側の課題を発見するためにはお客側のことを知らないといけない」という観点を欠いているのに情報発信をしようとする、とかメールを送るとか、そういうことは起こっていないだろうか。ペルソナ、とか、カスタマージャーニーとか言われるようになったのは「お客を知るため」のフレームワークの一種ということなんだろうけれど、それは売り側が発信することに対してどう反応するか、という部分(とその周辺)にしかフォーカスできないように思われる。 人のすべてを理解することなんてできはしないのだけど、自分が送ろうとしている情報が、はたして受信側に必要か否かという点については確信をもって応えられる送り手なんていないんじゃないか(必要であると確信をもって信じている、という人はいるだろうけれど)。割り切りなさいよということかもしれないけれど、「分かるはずないけど分かろうとしているんだ」という位の意識は忘れてはいけないように思う。

仕事の価格について

仕事でおつきあいのあるクライアントさんの個人ブログのカスタマイズについて相談される。もちろんそれだけ技能があるということで評価をもらったということで相談されることは悦ばしい。

なのだけど、問題は価格。こちらに相談したいこと(やって欲しいこと、おしえてほしいこと)の量を見積もると、1日で済む量ではない。テンプレートのカスタマイズは、元のテンプレートのソースを読まねばならないし、ちょっとした文字サイズを変更するだけであっても当該styleの影響範囲だって調べねばならない。他への影響など無視してよい、と仮に言われたとしても、影響範囲が実際に使用しているテンプレートに及んでいれば、結局そちらの修正対応というものが降りかかってくるのは見えている。だったら最初から調査して影響が出ないようにしておく、というのが仕事の段取りというものであろう。

そうなると、個人的な依頼だから多少割り引くとしても、「1日で済む量ではない」の対応の仕方の違い、出しかない。つまりはバッファを付けておくかつけないか、位の差。せいぜいそれくらい。でこれくらいの金額かなぁ、とこちらの見積もりを提示したところ、ご予算はそれの20%程度しかないとのこと。
であれば、これは仕事としては請けられない。お友達だからやってあげればいいじゃないかというむきもあるかもしれないが、プロの仕事を20%の価格(それも通常存在するバッファを削っているので,実質的には15%程度)で提供してくれ,という依頼なのでやはり請けてはいけないんじゃないか,という気分の方が大きい。お友達価格というのは,予算に応じて何でもやってあげるということではない。

ことは、お友達価格というだけではない。

仕事であっても,「知見を借りたい」という要望が多々あるが,その多くは「無償で知見を借りたい。後ろで作業発生したら作業費は払うから」というパターン。これは違うんじゃないだろうか。作業費を払うのは当然だけど,それは文字通り作業に対しての費用であって,その前段の「知見」なるものがなぜ無料になるのだろうか。むしろ知見の方が,よっぽど費用を払われるべきものではないか。作業が無価値ということではなくて,知見は10人いれば10人の知見が存在するが,作業であれば10人いても(やりかたはそれぞれにしても)最終的に10人が異なる成果物を作ってしまってはいけないという点で取り換えがきく。もちろん10人が10人同じこと言うよね,というレベルで意見を求められることもあるのだけど,そもそも知見を借りたいなんて言う時に,誰に聞いても同じことは期待されていない(同じこと言うは結果の問題)ので,やはり独自性が前提となる。なんだからやはり知見の方が費用が発生してしかるべきことではなかろうか。

相談はタダじゃない。