Virtual Eye 第31回 田沼意次(1988年7月)


 ワイロ。政治があれば必ず存在するものである。今日の収賄事件を小粒にみせてしまうようなワイロ政治の親玉が江戸時代にいた。18世紀は明和、安永の頃のことだから今から220年ほど前のこと。老中田沼意次である。などともったいぶって書いてみたが彼の名前を耳にしたことのない人もそうはいないだろう。江戸時代、もしかしたら日本史の中では、唯一、人名が時代の呼び名となっているほどの有名人なのである。

この田沼意次という人物、筆者が中学生の頃は教科書では「悪人」という扱いをされていたのだが、現在ではどう変わっているのだろうか。というのは、以前は「ワイロ」という誰でも「よくない」と分かる部分だけが強調されていたのだが、最近はそれ以外の「よろしい」面も評価されているからである。つまり彼の政治手腕の部分に目が向くようになったということである。そしてこの「政治手腕」に、今まで田沼意次が「ワイロ政治家」としてのみ評価されていた理由もある。

 良く知られているように江戸時代には士農工商という身分制度があった。この制度の下では金銭を通してもののやり取りを行う「商人」は一番下の身分として扱われていた。これは江戸時代の武士階級が「米」を生活の(財産の)基準としていた上に、武士の道徳基準に儒学が選ばれていた点に原因がある。米を作る階級を保護し、商いというなにも生産しない活動をする階級を蔑んできたのである。儒教でも宗教改革以前のキリスト教徒同じく商業を蔑んでいたのだ。とはいえ、時代はそのような「道徳」と関係なく進む。商業活動に支えられた生活が一般化してゆくにつれ武士の生活も「商業」を抜きにしては考えられなくなる。それでもかたくなに武士は「商業を蔑む道徳」を固持する。そこに政治の行き詰まりが起こった。220年前の政治の姿である。田沼意次の登場したのは正にそのような時代。当時の武士階級が政治と(商業ベースの)経済活動とを関連付けることを唾棄していた中でかれはあっさりと「経済活動」を政治の中に取り込むための政策を打ち出していった。今でいう銀行を設立しようとしたり、商品に税金をかけたり、鎖国にも関わらず海外との交易に積極策を示したりと「武士にあるまじき」行為を行う彼に、当然その他の武士の避難が集まる。「ワイロ」が彼のイメージにつきまとうのも(実際にワイロ政治を行ったかはともかく)彼が「金銭」を重視した政治を行ったことに一因があるとも言えるのだ。

 目を転じて現在。ワイロ絡みの政治はさておおいて、色々なところで「転換期」といわれているようだ。しかし、何が「転換期」なのかなどと尋ねられてしまうと、はっきり言うと実感に乏しいのではないだろうか。田沼時代の「転換」と今日の「転換」と、根本的な違いはここにある。田沼意次は伸びてきた「経済活動」をどう組み込むかという活動を行った、つまり「転換」した先のビジュ音があったのに、今日の「転換」は単に現状の行き詰まりの感覚が強いということだ。

 さて、そこで「アップルの転換」である。ラプソディからMAC OS Xへの転換。そしてiMacの登場。賛否色々あるのだろうが、次なる時代へ向けての「転換」という観点からは大いに評価すべきことなのではないかと思う。キーボードと文字の時代に「マッキントッシュ」というコンピュータを登場させた、ということの「現代版」とも言えることをアップルが行い得たという点。、我々が「よくわからないけれどアップル(またはMac)が好きだ」という気持ちを持ち得る原点を再び見せつけてくれたという意味で大いに評価すべきではないかと思うのだ。「当たり前」を転換させてゆく。そこで我々がどう対応するか、これから大切になるのは「我々」の側になることだろう。

Virtual Eye 1988年7月


Virtual Eyeは、Macのユーザーズクラブ(当時)からISPとなっていったLink Clubの会員向けNews Letterに連載していたエッセイです。
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