Virtual Eye 第33回 藤村操(1998年9月)


「アイデンティティ」という言葉。明治時代の文明開化。西洋の「技術」「製品」が大量に日本にやって来た。同時に「言葉」というものも日本に大量にやって来て、「訳語」が作られた。ところがどうも日本語にならない、といった言葉が大量にある。文化が異なれば思想も異なる、ということを考えれば日本語で表せない単語があっても不思議ではない、ということだ。「自己同一性」などという摩訶不思議な訳語が一応は与えられている「アイデンティティ」なる言葉、認識が明治時代に入ってきたのかどうかは定かではないが、とにかくカタカナ言葉として定着している。

説明たらしく書けばアイデンティティとは「自分が自分であるという各章」とでも言える。西洋思想で言う「近代適時が」などというものに目覚めた明治以降の知識人達はこのアイデンティティというものにずいぶん閉口したようである。アイデンティティというものを意識しつつ、「自分って」という問いに答えが見つからない、そんな人が自殺に走る(もちろん自殺をする人すべてではない)。逆に多くの文学者が「死ぬことの出来る」自分を発見するという意味において自殺願望を持った。文学に限らず哲学の世界でも自殺をする人間がいた。明治三十六年、華厳の滝に身を投げた旧制一高の生徒藤村操はそのような人々の代表である。彼は死ぬにあたって「厳頭の感」と題する一文を華厳の滝の上の立木に書きつけた。以下全文。

悠々たるかな天壌、遼々たるかな古今。五尺の小躯をもってこの大をはからんとす。ホレーショの哲学竟に何等のオーソリティーに値するものぞ。万有の真相はただ一言にして尽くす。曰く「不可解」。我この恨みを抱いて煩悶、終に死を決するに至る。すでに厳頭に立つに及んで、脅中何等不安あるなし。初めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを。

現在の世の中で「自分って何?」という問いを哲学的に、というように表に出してゆける人というのは非常にマイノリティであるという感がある。もちろん根本的なそのような問いがなくなったとは思わないが、それ以上に「自分と他者との関わりって何」という関係性の方に思想の動向も移って久しい。この、関わりというものによって成り立っているものがインターネットである。非常に個人的な何かをそれを「見る」という選択をしたひとにのみ発信する装置。自他の関係というものがなければとても成り立たない。だが、関係性以前に関係を持つ自分は?他者とは?という部分は問い直されてもよいので拝だろうか。このインターネットはいよいよ身近になっている。身近になるということは当たり前になるということでもあるが、ネットの場合「自分で見つける」事と「人から与えられる」事との境目がなくなっていく、という面があるとも言える。もっともアクセスする行為自体が自分で見つけることになるといえなくもないのだが、常時接続、プッシュ型は惟信というのが当然になってくればそうも言えなくなりそうだ。自分と自分以外の境目が合間になってゆくということだ。じゃあその時「自分って何?」「あなたって何者?」という問い掛けに対してどう応えるか。情報を世界に向けて発信できます、といわれるインターネットであるが、根本にはそんな問い掛けが横たわっているような気がする。

1998年9月 Virtual Eye


Virtual Eyeは、Macのユーザーズクラブ(当時)からISPとなっていったLink Clubの会員向けNews Letterに連載していたエッセイです。
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